月刊BLUEBNOSE 2026年01月号(#25)『考える葦から、降りてはいけない』
思い悩むなんて、無駄で非合理的だけれども、それすら辞めたらどうなるのか。
考える葦で居なければならない理由を、お伝えします。
昨年11月の終わり頃から、電通のAIサービス「AI For Growth」の動画広告を見かけるようになりました。
サイトにも埋め込まれている「御社とAI」という動画です。
どうやら、電通が独自の学習を施したAIモデルを使い、広告やプロモーション、マーケティングなどを丸ごと任せられるーーそういったサービスのようです。
ペルソナ分析やカスタマージャーニーの構築が苦手な人にとっては、確かに強力なツールでしょう。専門人材の確保が難しい企業にとっても、大いに助かるサービスです。
ただ、この動画を見た瞬間、私は別の懸念も抱きました。ビジネスにとって重要な思考領域まで、AIに丸投げしてしまって、本当に大丈夫なのか、と。具体的に「成果を出してしまう」ほど精度が高いのなら、自ら考えることが苦手な人は、ますます考えなくなっていくのではないだろうか、と。
電通が提供するレベルなら、並のAIとは異なり、実務でも十分使える精度を備えているのでしょう。その信頼性の高さと便利さゆえに、やがて「自分の頭で考えなくなる」のではないか、という怖さがあります。
前回の『AIが苦手なN個の理由』に続き、AIに対して厳しい印象を持たれてしまうかもしれません。しかし、AIを全て否定したい訳ではありませんし、AI For Growthの利用についても、それ自体が悪だと言うつもりもありません。
その前提を踏まえた上で、今回は経営や業務の根幹に関わる思考や、クリエイティブな領域までAIに委ねると、何が起こり得るのか。それがなぜ、単なるツール導入では済まなくなるのか。その点を、改めて整理してみようと思います。
Growthの領域は文字通り、成長の根幹
電通が「AI For Growth」と名付けているように、ただ「広告を任せる」という話ではありません。自社を市場の中にどう位置付け、どの顧客と向き合い、どのような流れで支持を勝ち取るのか。事業主体としてどう在るべきか、そしてどう成長していくべきかーー事業の未来そのものに直結する意思決定へ、手を加えることになります。
ペルソナの解像度を高め、カスタマージャーニーを見出し、自社ならではの成長シナリオを掴み取る。これは、既存の正解を探すのではなく、自ら唯一無二の道筋を模索する行為です。本来であれば、経営者自身や組織内部で自問自答すべき領域であり、安易に手放してはなりません。
その中枢領域ーー組織としてのレゾンデートルや、コア・コンピタンスにも触れる根幹を、たとえ精度の高いAIであっても、丸ごとアウトソースしてしまって、本当に問題ないのでしょうか。
これは、内部事情を知らないコンサルタントやプロ経営者に主導権を渡し、好き放題にやらせる構図と、何が違うのでしょう。事業者としての「哲学」やアイデンティティを第三者へ明け渡してしまうと言う点では、全く同じではないでしょうか。
組織として全てを内製化せず、一部の職能や機能をアウトソースして効率化を図ったり、スリム化を行うことは合理的な判断です。全員を正規雇用にする必要もなく、派遣社員やパートタイム、アルバイト、客先常駐の業務委託など、多様な働き方が混ざり合うのも自然でしょう。
しかし、それはあくまで組織にとって「手足」にあたる領域の話です。人事や総務といった主要なバックオフィスを外部に任せることはあっても、組織のコア・コンピタンスや、意思決定の源ーー頭脳や魂に相当する部位となると、話は変わってきます。
ここで、同一性のパラドックスとして著名な「テセウスの船」を思い浮かべてみましょう。古い材木を全て新しいものに置き換えても、人々がそれを「テセウスの船だ」と認識していれば、その船は同一性を保てるでしょう。同様に私たちの肉体も、身体を構成する要素が新陳代謝によって置き換えられ続けていますが、夜に眠り、翌朝目を覚ました時に「同じ私」だと感じられるのはなぜでしょうか。
身体や脳を切り刻んでも、心や魂のように「これが私」と言えるモノは、どこにも見つからないのに。その答えは、「私は私」と自負する意識が存在しているからです。では、その認識を他の何かに委ねてしまったら、それは本当に同じ「私」と言えるでしょうか。「私を私たらしめるもの」を手放せば、それはもはや「私」ではなく、「私の形をした別の何か」です。
これは、個人ではなく組織でも同じです。「これを持って私たちで在る」と言える大事な「考えること」を、苦手だからといって誰かに委ねてしまって良いのか。それに対する私の回答は「No」です。
上手く行く理由を、自分で考えろ
「Growth」をAIへ丸投げしない方がいいのは、哲学的な理由や道義的な理由だけではありません。なぜ順調にGrowthしているのかという理由や根拠が、経営者自身や組織内に蓄積されないのは、極めて大きな経済的損失です。
電通のAIなら、建設的な仮説検証すら問題なくこなせるかもしれません。しかし、そのプロセスがブラックボックスのままであれば、取り組みが仮説検証の成果によるものなのか、単なる偶然の積み重ねなのかすら見分けがつきません。
そして、もしAI側の事情で開発中止やサービス終了、あるいは継続困難な値上げが発生すれば、その瞬間に積み重ねて来たものも、水泡に帰してしまいます。それまで順調に成長して来たのに、一瞬で途方に暮れるーーそんな可能性もゼロではありません。
これがアウトソースの怖さです。製造部門のファブレス化を進め、まともな製造能力が失われていった事例を、日本やアメリカで確認しています。同じことが、「Growth」の領域でも起きるとなれば、その深刻さは言うまでもありません。
自分たちがなぜ成長するのか。どうすればGrowthできるのか。ペルソナやカスタマージャーニー、具体的な成長シナリオから勝ちパターンまで、知見を自社内に蓄積しておかなければ、いつまで経っても「まぐれ当たり」の域を抜け出せません。多少面倒であっても自分たちで考え、仮説検証の方法そのものを学んでおかなければ、全ての施策は永遠に「投資」ではなく「投機」のままです。
「こうやったから、上手く行く」を自分たちで見つけること。そして、「どうなりそうか」という感覚や、施策に対する判断力、センスを磨くこと。それらを手放したままAIに丸投げしていると、いつか足元を掬われてしまうでしょう。
面倒でも、自分たちに合った未知の「上手く行く方法」は、自分たちで切り拓くしかありません。それもまた、一つの真理です。
千三つ信仰も、AI依存もリスク大
苦手なことをAIに任せるけれど、最終的な意思決定は人間がするから問題ない。AIの仮説検証も、途中経過を適宜出力させればブラックボックス化は避けられる。ーー確かに、それも正しい考え方です。
しかし、AIが使えなくなった時はどうなるのか。あるいは、AIやプロンプトに詳しい個人が離脱した瞬間、何が起きるのか。手足に相当する部分なら、機能停止してもしばらく回るかもしれませんが、頭脳や司令塔にあたるGrowthが止まれば、組織全体は即座に機能不全に陥ります。
「AIが使えない」シナリオは、AIサービスそのものの停止に限りません。AWSやGCPなどのサーバ障害や、CloudFlareのようなCDNの大規模ダウン、クライアント側の電力やネットワークなどのインフラ、あるいは自然災害など。原因は無数に存在します。そのいずれが発生しても、AIがコケた瞬間に自社も共倒れです。
また、プロンプト職人の属人化も同様です。経営者やチーム単位で「Growth」を理解していなければ、ノウハウが組織に蓄積されることはなく、相互のブラッシュアップも期待できません。
さらに、AIの取り組みが「再現性のある成功」なのか、「まぐれ当たり」なのかを判断できなければ、人の手による仮説検証は行われていないのと同じです。AIは膨大な数の施策を試せるからこそ、当たったモノだけをピックアップ可能です。ただAIに丸投げするだけでは、誤った成功体験まで、本物だと錯覚してしまうでしょう。
結局、額に汗を掻きながら作り出した泥臭い仮説検証でなければ、企画も施策もいつまで経っても「千三つ」= 3‰の壁を超えられません。
確かに、マーケティングもプロモーションも水物で、蓋を開けるまで結果は分からない世界です。だからといって、計画的な取り組みや再現性を手放してよい理由にはなりません。仮説検証や根拠に基づく姿勢こそ、長期的な成長を支える「持続可能性」そのものと言えるでしょう。
目先の楽か、アナタの喪失か
ペルソナ策定やインサイトを踏まえた情報設計は、どれだけ時間を費やしても答えに辿り着けないように思える。だから、AIの力に頼った方が生産的で合理的だ。そう考えるのは、決して間違いではありません。
また、急ぎの案件でじっくり思い悩む時間が確保できないなら、一時的にAIを使うのも自然でしょう。
確かに、AIは「答えの出ない問いに悩む」という苦痛を取り除き、「もっともらしい答え」や「それなりの成果」を得られるので、短期的なメリットがあると言えます。
しかし忘れてはならないのは、思考の主体は人であり、AIはそのサポートに留めるべきだということ。
そしてもう一つ。「思考する苦痛」から逃げ、目先の楽を選んだ瞬間から、中長期的には見えないリスクを抱え込むかも知れない、という事実です。
AIに頼れば頼るほど無自覚の領域は増え、その盲点はやがて、避けようのないブラックスワンとなって、姿を現すでしょう。
事業において、悩み続けるのは非生産的かつ非合理的です。しかし、私たちは生産性や合理性を最大化するためだけに事業を営んでいるわけではありません。
もし本当に生産性だけを追求するのなら、戦時下の軍需工場のように、国家が全てを統制する強権的体制下で、徹底的に無駄を廃したモノづくりをすることが最適、という話になってしまいます。
そんな不自由さと引き換えに得る生産性に、どれほどの価値があるでしょうか。
不条理に抗い、「私にやりたいこと」を形にするために、アナタは事業を興し、経営者になったのではありませんか?
「私を私たらしめる」のは、「私は私である」と自負する意識が在るからこそ。つまり、デカルトの「我思う、故に我あり(Cogito ergo sum)」です。
同様に、アナタの事業が他と違う理由も、「コレが私の事業である」と考え続けることによって生まれています。
その根幹である「Growth」を、AIや第三者に丸ごと委ねてしまった瞬間、アナタを選ぶ理由は霧散します。
なぜなら、その組織はもはや「アナタ」ではなく、「アナタの姿をした別の何か」だからです。
パスカルは、「人間は考える葦である」と述べました。このフレーズも様々な解釈はあれど、もし「考えること」こそ人間の根幹であるのなら、思考すること、思い悩むことを手放した瞬間、私たちは自ら、人間であることの責任を放棄することになるのではないでしょうか。
事業主体としての責任感や、経営者としての真摯さ。そして組織のアイデンティティやレゾンデートルまで外部に委ねてしまうのなら、もはやそれは「アナタの事業」である必要すらありません。
思い悩むという苦悩を手放し、目先の楽を選ぶという行為は、看板を自ら下ろすのと同義です。
AIで効率良くという甘い誘惑は、時に身を滅ぼしかねない猛毒にもなり得ます。安易に手を伸ばして後悔することがないよう、ご注意ください。
面倒や苦痛から逃げるな
根気強く仮説検証を繰り返し、自分たちの「答え」を見つけることは簡単じゃありません。ああでもない、こうでもないと必死に考え抜く以外に、近道も裏技も存在しません。
建設的な知見や思考力を鍛える機会までAIに預けてしまえば、短期的には楽でしょう。でも、人生は「楽あれば苦あり」。面倒や苦痛から目を逸らし楽な方へ逃げたところで、その先に待っているのは、より大きな「苦」です。
適度な負荷をかけながら自前の思考を育てなければ、マーケティングもプロモーションも、いつまで経っても成功率 3‰の沼から抜け出せません。運任せのギャンブルで投資を続けても、いずれ限界が訪れます。
何でもかんでもAIに任せれば短期的な生産性は上がるかも知れませんが、中長期的には「考える力」や「独自のナレッジや知見」を失うという、致命的なコストを支払うことになります。面倒や苦痛から逃げ続けても、良い未来は訪れません。
「楽あれば苦あり」なら、「苦あれば楽あり」もまた心理。あえて茨の道を選び、考え悩み抜いてこそ手に入れられる果実も存在します。そのためにも、考える葦で在り続けましょう。
どうしても苦手なら、私たちとやりましょう
考え続けることが得意でなければ、それが得意な第三者や専門家など、人の手を借りることを検討してみてください。どうしても見つからなければ、私たちもいますから。
ただし、あくまでも考えるのはアナタであり、考える力や仮説検証のセンスを伸ばさなければならないのも、アナタ自身です。代わりに考えたり、最大限のサポートをさせていただきますが、自ら汗を掻くつもりでお声掛けください。
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