月刊BLUEBNOSE 2024年08月号(#8)『頑張りすぎずに結果を出せるようになりたい』

お盆や夏休みもある今月は、何となくエバーグリーンなコンテンツ中心月間。theLetterでは、「頑張りすぎない」に関するコンテンツをお届けします。
頑張って当然のように思える新規事業や自営業ですが、頑張ることのデメリット、どう頑張るのが良いのかについて、筆者なりの考えをまとめてみました。何かのお役に立つようであれば幸いです。
BLUE B NOSE 2024.08.16
誰でも

立秋を過ぎ、いわゆるお盆の時期ですが、まだまだ残暑どころか暑さの盛り。陽が落ちた後の時間帯はだんだん涼しくなってきた気もする今日この頃ですが、日中の暑さや熱中症には気をつけたいところ。そうは言いながら、暑い時期に滝のような汗をかいて何かに取り組んでいる姿、頑張っている様というのも尊く、頭が下がってしまうのも自然な感覚でしょうか。

蛍雪之功というか、蛍の光や雪明かりで勉学に励むのと双璧をなす気がする、暑い季節や夏というシチュエーションですが、無理して頑張り過ぎないでね、とも思う時期。今回は「頑張る」ということについて、ちょっと考えてみましょう。

頑張る = 100% or 120%、150%?

まずは、「頑張る」の定義を揃えたいところですが、アナタにとっての「頑張る」は大体何%ぐらいのイメージでしょう? 持っている力を余すことなく全て発揮している状態でしょうか。それとも、それを超えた出力を発揮している状態でしょうか。自分の体力やスキル、リソースを思い浮かべてみて、「頑張る」はどれぐらいか、何となくイメージできましたか? それが100%でも、100%以上でもどちらでも構いません。個人的なイメージでは100%付近や100%超が「頑張る」のイメージです。「無理している」まで行くと100%超は着実で、更に大幅な超過、150%とか200%とかそれぐらいでしょうか。

「頑張る」の反対、「頑張っていない」状態は、概ね50%以下が境目でしょうか。半分以上の余力を持って物事を処理している姿は頑張っていないというか、いつも通りや習慣や手癖で"こなしている"作業やその姿に対して、「頑張っている」という印象はあまり持たないでしょう。

つまり、持っているポテンシャルや能力を目一杯発揮している状態、それ以上は限界を超えると思われる境目付近や、余裕が少なくなっている状態に対して「頑張る」とラベリングすることにしましょう。

「頑張る」は一種の状態異常

小見出しでいきなり断言すると面食らうかもしれませんが、「頑張る」という単語が存在している時点でやや特殊な状態を指している、と言えます。「頑張る」の対義語、「頑張らない」や「頑張っていない」は「頑張る」や「頑張っている人」が存在しないと成立しません。「頑張る」を引き合いに出さなければ「いつも通り」、いわゆる「ケ」の状態であり、取り立てて注目すべき状態ではない上に、特筆すべきこと、何かしら説明を要することもありません。

「頑張る」がやや特殊、特異な事象だから「頑張る」という言葉が生まれた。成り立ちの時点で特別な事情、お祭りや非日常である「ハレ」に近い概念であるとも言えます。

また、「頑張る」は「ハレ」の行事とも親和性が高い印象があります。地域ごとのお祭りや個人の冠婚葬祭、あるいは学校行事の文化祭や体育祭、晴れの日の年中行事や、一人前であると証明するための通過儀礼など、行事の準備や行事の最中において「頑張る」瞬間が出てきます。

行事ごとでなくても、受験や資格試験など特別な試験に備えたり、何らかの試合や大会へ向けて努力するなど、やはり「特別な何か」と「頑張る」は結び付きやすい印象です。「頑張る」は普段通り、いつも通りではなく、そこを逸脱した状態。平常では体験することができない楽しみや苦しみを体感するための行為、とも言えるでしょう。

そして、普通ではない状態、状態異常ということはロールプレイングゲームなどで登場する毒やマヒ、石化、一時的なバフやデバフのように、中長期的に負の影響を被ったり、メリットもある反面デメリットも受けるような状況とも類似します。

人体も道具も、100%稼働が続くと破損する

設計通りに100%稼働しなければ逆に不具合や不都合を生じるモノや状況もありますが、設計上の100%を維持し続けると徐々にどこかに異常を来たして壊れてしまう、というのもよくあります。これは何らかの道具や機械に留まらず、自分自身の体にも起こり得ます。

100%の出力、100%の能力発揮ということは、設計上の限界を意味します。安定可動域であっても、それが上限いっぱいであれば、細やかな振動やちょっとした負荷を安全に処理する余地や遊びが少なく、強い力を受け続けた状態で摩耗、消耗していくこととなります。

人体に置き換えるともっと分かりやすく、いつまでも100%で頑張り続けることは出来ません。

ペース配分を考え、要所要所で力を抜かなければ体力も精神力も持ちませんし、火事場の馬鹿力とまで行かなくとも、出来るからと全力で走ったり飛んだり、物を投げたりすると、筋や関節を痛めます。

仮に持久力やスタミナが常人離れをしていて、フルマラソンどころか無限に走れるという人がいたとしても、筋肉や関節以上に肺や心臓への負担が増大し、増え過ぎた活性酸素による悪影響も出るでしょう。

また、頑張っている瞬間は集中や緊張にも陥りやすく、交感神経が優位な興奮状態となり、無意識や反射、習慣や手癖、周辺視を活用するモードから、顕在意識や中心視を意図的に駆使するモードが中心となることもあり得ます。

集中といえば聞こえは良いですが、緊張して意識的、意図的に何かをやる場合、無意識に手癖でやる場合は起こらなかった失敗を引き起こした経験はありませんか? 納得しにくいでしょうが、無意識や習慣、感覚といった人体のOSの方が処理能力が高く、どこか一点にフォーカスを当てて一つ一つ段取りを確認するやり方、意識的に何かをやる方が向いていない処理や作業というのも沢山存在します。(ロボットの二足歩行、ランニングを実現しにくい理由もほぼ同様の原理です)

緊張している状態、あるいは軽い興奮状態の場合、力加減も下手になっていたり、痛みに鈍感になっている場合もあり、頑張って意識的に取り組んだ結果、普段以上の壮大な失敗、想定外の身体的なダメージ、精神的なダメージを負うこともしばしばでしょう。

腹八分目という言葉もあるように、多くても八分、つまり八割ぐらいの頑張りに留めて目一杯まで頑張らない。ましてや100%を超過する頑張り過ぎ、無理し過ぎは控えることをオススメします。

「頑張らない」や「平常心」時の水準を高める

長く続けるための理想としては、頑張らない、常に平常心。その上で、「頑張っている」時と同じ結果、同じ成果を上げ続けること。「頑張っている」時以上のものを目指し、それをクリアし続けること。

頑張らなくてもいい状態、平常心で達成できることの水準を高めておき、いざという時、ここぞという瞬間のみ頑張るようにすると、安定したパフォーマンスが出せるのではと考えています。

一見矛盾して聞こえそうですが、頑張らないために頑張ると言いますか、「頑張る」を積み重ねて「頑張らなくてもできるレベル」をどんどん高くするようなイメージです。昨日や一昨日、あるいは去年や一昨年までは出来なかったことを、息をするような当たり前の感覚でこなしてしまう。

あるいは、自分の力で頑張らなくても良いように、先人の知見や紙とペンの力、あるいはITの力を借りてしまう。自らのやる気や頑張りといった「作用」に依存するのではなく、反作用の力、反動によるリアクションを狙って真逆の動きに注力してみる、とか。(例えば、勉強しなさいではなく、遊ぶことを過度に奨励することでかえって嫌な気持ちにさせる、とか。取扱注意のやり方ではあります)

TodoリストやGTD、紙とペンを使って頭の外で考えるタイプのテクニックや、一人ブレストや独り言を含めたアウトプットで頭の中にあるものを外に出す行為も、「頑張らない」で出来ることを増やし、出来ていないことを明確化することで心理的なストレスを減らす手法です。

習慣の力、直感の力、無意識の力を最大限に活用し、意識しなくても勝手にやってしまう状態を作り上げるために、その修練、積み重ねのために頑張り、努力する。頑張らなくても出来る人、平常心で物事に向き合える人になっているのが理想的だと筆者は考えています。

「無明」を効率的に減らすには、「影響の輪」へ集中しよう

平常心を脅かし、パフォーマンスを下げる要素が仏教で言う「無明」や「マルチタスク」だとも考えています。無明の正確な解釈は他へ譲りますが、無明とは文字通り、「明かりがない」状態、光が当たっていない状態で、迷いの元となるものだそうですが、先の見通しが立たない状態や、何をしているか分からない状態など、何となく不安になる状態も「無明」のようなものとして良いと思います。

無明のようなものが増えれば増えるほど、平常心で物事を捌くことが難しくなってきます。光を当てて「明かりがない」を回避する、それがそもそも何なのかをハッキリ認識、把握することで「無明のようなもの」は別の何かへ姿を変貌させます。別の何かになれば具体的な対処方法も明確に出来るでしょう。(何かよく分からない現象や事象に名前や姿を与え、ある種の妖怪として対峙、問題を解決するという方法とよく似ています。「真名」を問うのも同様でしょう)

Todoリストで作業を書き出したり、GTDを使ってタスクを具体的に細分化するのも、類似の行為です。「分からない」を減らし、タスクへ置き換えてどんどん処理していけば、平常心を保つことに繋がります。

また、第三者由来の「無明」による偶発的、事故的なものも含めた「マルチタスク」を極力減らしたいなら、『七つの習慣』にも触れられている「関心の輪」に集中するのではなく、「影響の輪」へ目を向ける、そこに注力するのがベターでしょう。

「関心の輪」は自分の力ではどうすることもできず、期待した結果が返ってくるかどうかも読めません。「何でも自分でやる」がよくない場合もあるとは思いますが、もしそれが許されるのなら、自分の手元へある間、「影響の輪」の中にある間に出来るだけの処理を済ませてしまう。第三者に任せることで全体的な「無明のようなもの」が増えてストレスの元になる、不機嫌の元になるぐらいなら、穏やかに処理できるうちに対処してしまうことをオススメします。

組織やチームの方針、考え方にもよりますが、新人に近い若手や自ら学ぼうとする意思がある人物ならまだしも、育つことを期待して作業を分担しても、期待通りの結果を得ることは難しいでしょう。「こうなったらいいな」が叶わなかった時の「無明のようなもの」やかなりブルシットな膨大なタスクに対して、平常心を欠いて「頑張って」処理しようとするのは避けた方が良いと思います。

マルチタスクもできるだけ避け、リードタイムが読めないものや自己完結の難しいものから片付け、後は期日が迫っているものや新しいもの、とにかく簡単に終わって量を減らせるものからシングルタスクで処理していくと、平常心、頑張らないモードを取り戻しやすいのでオススメです。

頑張らないためのWebサイト、Web活用を目指して

お客様が頑張り続けなくてもいいように、事業やブランドに貢献するWebサイトをお届けしたい、より良いWebマーケティングやWeb活用を支援したいと常々考えています。

BBNとしても、頑張らずに良い仕事をお届けするための努力、頑張らないための頑張りを心がけ、できるだけ効率の良い方法を日々模索し続けています。

100%ではなく、八分目や七割、可能ならもっと低い頑張りで、期待以上の結果、成果を出せる体制を目指し、お客様の成功に貢献するWebサイトとは何かを、今後も探求し続けますね。

おしまいに

無理に頑張らず、平常心で上機嫌なスタイルを理想に掲げるBBNと、月額制Webサイト制作に取り組んでみませんか?

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それでは、次回の配信をお楽しみに。

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