月刊BLUEBNOSE 2024年10月号(#10)『イノベーションは、破壊や暴力を避けられない』

選挙を切り口にポスト争いや生存競争の話を繰り広げ、大した根拠もなくイノベーションにはジレンマが付きまとう話や、それによって周りを傷つけること、破壊することもイノベーションを仕掛ける側の役割であると、好き勝手に述べてみました。

配信型メディアで、ほぼ誰にも届いていない、読まれていないメディアなので、多少好き勝手でも構いませんよね......?
BLUE B NOSE 2024.10.18
誰でも

今月27日が投開票日となる、第50回衆院選が告示となりましたね。小選挙区と比例方式とで、限られた議席を争う選挙戦が本格的にスタートしました。

争いや諍いから遠い日本の都市部で生活していると、争奪戦や生存競争はやや縁遠いですが、限られたリソースを巡る戦いというのは、動植物の世界における自然の摂理です。食料や飲み水はもちろん、雨風を凌いだり天敵から身を守るための寝床や、日当たりの良い空間や程よい湿り気がある日陰など、あらゆる場面で争奪戦が繰り広げられ、負けた相手は退場を迫られ、次の戦いへ移っていくのが、弱肉強食の世界でしょう。

また、このような競争は、異種族間だけでなく、同種や家族の間にも発生します。ヒトは煮炊きや栽培を獲得することで、集団で分け合う方が繁栄しやすいという利点を見出しましたが、一部の類人猿以外は、限られたスペース、限られたリソースを譲り合うのではなく、お互いに奪い合う形を選択しています。

新しく群れを率いることなった雄ライオンは、競走に敗れた雄ライオンとの仔を殺害し、自分の遺伝子だけを群れの中に残しますし、成長した雄ライオンは、元いた群れを離れ、新たな群れを築かなければければなりません。

良質な水場や餌場を見つけた場合、その場所を巡り、先にそこを占有していた生き物と、新たにそこへやってきた生き物との間で、命懸けの戦いが繰り広げられるでしょう。勝った方が総取りし、強い方が勝つというシンプルな摂理に従って、種や家族の枠組みを超えた世代間抗争が繰り広げられます。

経済や事業活動において、「アニマル・スピリット」という表現が登場しますが、本当に「アニマル」なのであれば、市場経済や業界内のシェア争いにおいても、同様の争奪戦、世代間抗争が繰り広げられていてもおかしくはないのですが、必ずしもゼロサムの世界ではないからこそ、近年は競争が激化している業界や領域以外の部分では、そこまで激しい戦い、血や涙、汗が飛び交う場面は見られないような気がします。

しかしながら、ちょっとだけ昔に目を向けると、乱闘や喧嘩が華のように咲き誇っていたり、「仁義なき戦い」のような血気盛んな時代や、議場の前に合ったバリケードを突破した、「国会(政界)の暴れん坊」の異名を持つ浜田幸一氏などがいたのも、また事実。

高度経済成長や一億総中流など、昭和から平成にかけて日本中に活気が満ち溢れていた時代。必ずしもクリーンとは言えない社会でしたが、線が太くて男臭い人たちが、元気な時代でもありました。バブルを経てタバコが社会の片隅に追いやられると、社会は清潔感に満ち溢れ、スマートでスタイリッシュな時代に変化しましたが、同時に「失われた何十年」を迎えることとなりました。

時代を経ることで失われたように思える血の気や男気、健全な暴力性が、実は社会的な活気にも一役買っていたのではと考えているのですが、今回はその辺りについて、少し触れてみましょう。

粗暴さは無くなったけど、代謝も落ちた

体罰や愛の鞭、鉄拳制裁のガンコ親父やカミナリ親父も希少な存在となり、汗臭さやタバコ臭さと共に暴力的な怖さも減りましたが、それに呼応するように若者の中にあったはずの攻撃性や牙も、かつてほどは感じない時代になっているような気がします。

今でも暴力団や反社会勢力、走り屋やカミナリ族といった存在もあるので、完全に暴力性が消え去ったとは言えませんが、老獪になった年長者と丁々発止を繰り広げる若手みたいな構図、派手な闘争はかなり減ったように思います。永田町というか、政界に微かに代理戦争気味に残っている程度でしょうか。

栄枯盛衰は激しくなっているはずの市場やビジネスの現場では、若手と老舗の争いというのは、日本国内では相当珍しくなっているような気がします。(水面下の交渉というか、策を弄するスマートな戦いに変化しただけ、かもしれません)

長老や年長者に食ってかかり、正面切って喧嘩を繰り広げたのはNPBを巡る騒動や、ホリエモン周辺のフジテレビ騒動が賑やかだった頃ぐらいまで、大体20年前ぐらいまでじゃないでしょうか。そこからは、新経済連なども立ち上がりましたが、経団連や同友会に牙を向こうとする人は出て来ていないのでは。

バブル崩壊と就職氷河期世代が近い時期にぶつかったのも、よくなかったのかも知れません。団塊世代と団塊ジュニアの間で繰り広げられるはずだった世代間抗争はほぼ不発に終わり、資本も含めて力をつけていた上の世代によって、若い芽が摘まれるだけで終わってしまった。

年長者、上の世代に逆らっても自分の立場を危うくするだけ。大人しく言うことを聞くしかないという風潮も、粗暴さを減らすことに寄与する一方、社会的な新陳代謝を大きく落とし、少子高齢化を加速させる結果、失われた何十年を長引かせる結果に繋がったような気がします。

団塊の世代は楽しい人生を謳歌し、乱暴さや暴力性を担保したまま老境に差し掛かり、新たな社会問題にも繋がっています。社会的には、消費税の導入や新自由主義由来の緊縮財政がさらに若者の活気を奪い、「常若」の文化も持つ日本なのに、新陳代謝やそれを行う体力はガクンと落ちたままのような気もします。

様々な課題を解決するイノベーションを行うには、「誰も傷つけない」イノベーションではなく、「誰かを傷つける覚悟」で世代間抗争を引き起こすような、健全な暴力性を秘めたインパクトの大きなものでないと、不十分なのかも知れませんね。

よそ者・若者・バカ者は、「イノベーションのジレンマ」発生装置

変化をもたらすのは、「よそ者・若者・バカ者」であるとよく言われますが、誰がやったとしても、イノベーションには必ず「ジレンマ」がついて回ります。その変化が必要なものであり、受け入れた方が良い提案だったとしても、素直に納得することが出来ないとか、なぜか反対してしまうといった軽い拒否反応や拒絶など、大小様々な抵抗がそれに該当します。

このジレンマは、現状を維持したい気持ちや、これまでに獲得してきた資産や既存の支持基盤を失いたくないと言う気持ち、これまでの成功体験から抜け出す恐怖といった、様々な感情が織り混ざって発生する、極めて自然な現象です。

物理の世界における慣性の法則や、摩擦みたいなもので、すり鉢状になっているコンフォートゾーンから抜け出しにくいから、といった説明をされることもあるでしょう。変化が大きければ大きいほど、そのイノベーションにより失われるモノへの思い入れが強ければ強いほど、「ジレンマ」も強く大きいものになります。

「よそ者・若者・バカ者」は既存の価値観やしがらみに囚われていないため、気軽にイノベーションとイノベーションのジレンマを引き起こしますが、それが上手く行くかどうかは、青春をモチーフとした様々なフィクションでも描かれている通りで、いかに長老や年長者を納得させるか、巻き込んでいくかが焦点となります。

個人的には、「男子高校生によるシンクロ」を描いた『ウォーターボーイズ』のドラマ版で、「文化祭でシンクロをやりたい」を巡る様々な出来事が印象的で、イノベーションを阻害する要因というのが、どのように起こるかが生々しく伝わってきたことを、よく覚えています。

周囲に与える影響力が強いイノベーションは、どう頑張っても反発を生みます。膝を突き合わせてコミュニケーションを重ね、全会一致で全員を納得させられたとしても、心のどこかで反対している気持ちや、悔しい想いや悲しい想いも巻き起こっているものです。

本当に意義のあるイノベーションだからこそ、既存の何かを壊したり、周りにいる誰かを傷つける。そのジレンマを避けたイノベーションでは、社会課題を解決することは難しいでしょう。

イノベーションのジレンマは、(世代間の)縄張り争い

先に良い場所を押さえられていた場合、まずは二番手や三番手の場所を自分の縄張りとして、シェアを獲得していくことになると思いますが、やがては近隣の競合や先人たちと正面切って闘争しなければならない局面というのも、発生します。

動物として生きていく以上、親兄弟との戦いも勝ち抜かなければなりません。ビジネスや学問、宗教の世界でも、新しい考えやアプローチを確立した者は、既存の権威に戦いを挑み、自らのポジションを獲得してきた歴史があります。

こうした縄張り争いは一見野蛮に見えますが、既存の古いものや古い考え方が新しいものに置き換わる、「代謝」に繋がる極めて自然な現象です。生まれたての若くて弱く、柔らかい存在を見守りながら、時にその若さや攻撃性を恐れ、年長者として牽制したり、出る杭を打とうとするのも、シビアな闘争としては当たり前でしょう。

気を抜いたり手心を加えれば、いつか追いやられる。その緊張感の中で正々堂々と真っ向勝負する。そうやって真剣勝負による勝ち負けを経て磨かれ、鍛え上げられてきた文化は、次第にその独自性や市場競争力を高めていきますし、若々しさと活力にも満ち溢れていきます。

新陳代謝によって若々しさを保ち、技術や文化と共に清らかさも受け継いでいく文化が、伊勢神宮や出雲大社といったお宮さんの式年遷宮や、宮大工に表れています。「常に若い」と書いて「常若」(とこわか)という考え方も、日本に連綿と受け継がれてきた文化の一つです。

宮大工という変えてはいけない技術の世界で、作り変え続けるという取り組み。西洋が「テセウスの船」で悩んでいる間に、恒常性を保つ重要性に気づいて根付かせている考え方ですが、この過程にも必ず加工や破壊が組み込まれており、代謝、再生を果たすには適度な暴力、力が不可欠だと言えます。

余談が過ぎますが、破壊や傷つけることが悪いこと、悪なのであれば、我々の手はドラえもんのようなまん丸の球体のままで、臍の緒が干からびることもなく、母体の中にある胎盤も、いつまでも壊死することなく子宮の中に残り続けるでしょう。

細胞が自死するアポトーシスが機能しなくなれば、健康な細胞が癌細胞へ変異するなど、身体的に都合の悪い事象も発生します。破壊や暴力は無条件に悪いことなのか、よくよく考えたいものですね。

年長者が許容できない、超ド級のイノベーションが必要

話が大分長くなりましたが、イノベーションと向き合う中で気をつけたいのが、「年長者に褒められること、認められること」を上位に持って来ないこと。

成熟した社会で、年長者の方が権威や力を有している状況下では、表立って年長者に楯突くより、彼らに褒められたり、認められたりする方が賢明な振る舞い方だと思いますが、それでは世代交代、「取って代わる」は困難でしょう。

上手に立ち振る舞って、虎視眈々と寝首を掻くのも良い方法ですが、年長者が脅威と感じるイノベーション、自分の立場を揺るがされるから許容できない、出る杭は打ってやると考えるようなイノベーションでないと、社会課題は解決できないでしょう。

もう少し言い換えるならば、年長者や既得権益に牙を向く、攻撃性や暴力性が高いイノベーションでないと、世の中は変えられないのでは、ということです。

年長者、諸先輩方や周りの人から「上手だね」と頭を撫でられるのではなく、「お前、何やってんの?」と鼻白む方、「バカだなぁ」と言われる方を選びたい。だから、「よそ者・若者・バカ者」として、変化の小さなイノベーションではなく、多数派が「辞めろ」と止めたくなるような、超ド級のインパクトを持つイノベーションが求められている、と考えています。

だから、抵抗が凄まじくて上手く行かないとか、せっかく派遣されたのに何もできずに終わるとか、分かり合えずに途中でポシャるというのも、出てきて当然だろうなぁ、とも思います。

先人と戦い、年長者や大人に「変われ」と揺さぶりをかける。大人が変わるためには、大なり小なり「痛み」も必要です。その「痛み」を引き起こすための小さな破壊、健全な暴力も同時に、今の日本に必要なのではないでしょうか。

ただし、郵政民営化や新自由主義の過度な緊縮財政みたいなのとは、また違う話として捉えていただきたい。

個性をオモシロがれる関西の強み

強いものに逆らうヤンキー魂、反骨精神としてはお上から与えられた「大阪駅」に対抗して、「梅田駅」を沢山作った大阪の態度が象徴的でしょうか。

長らく商都として歴史を紡いできた大阪は、表面的なものではなく実利主義であり、また日常のコミュニケーション、おもてなしの精神として「笑い」にもうるさい土地柄です。

その分、比較的新しい土地である北側では特に、個性が強くてトンがった跳ねっ返りを「お前、オモロいやんけ」と認める風潮、土壌も備わっています。個人的には商売の都とか文化がどうとかいう強みより、この精神性の方が関西の強みではないかと考えているのですが、皆さんはいかがですか?

本気で先人や強いものに楯突いても、実利や本音が伴っていれば「オモロいやんけ」と評価される。自分を大きく見せたり、格好つけようとして「いちび」ったり、練習も不十分で身についていない浅はかなテクニックに走って、「サブい」とか「スベってる」と嫌われる厳しさも備わっています。

「オモシロイ」から強烈なイノベーションが生まれるのではと梅田に開業したグランフロント大阪や、ナレッジキャピタルが誕生してから、早10年超。お眼鏡に叶うイノベーションが中々生まれないのは、皆さん揃いも揃ってお行儀のいいお坊ちゃんやお嬢ちゃんで、ガラが悪くて悪が強い暴力性、反骨心が足りないから、かもしれません。

もっともっとお行儀も手癖も悪い、悪逆非道のダークなイノベーションと、その実行役を担う覚悟を持った存在が、必要なんでしょうね。

おしまいに

我々BLUE B NOSEは、傷つけることを厭わないし、傷つける痛みやその罪を背負う覚悟も持っています。必要悪を引き受ける肚を括った我々と、次の時代を見据えたWeb制作やWeb活用に取り組んでみませんか?

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