月刊BLUEBNOSE 2024年05月号(#5)『言葉とは、刃渡のない毒牙のつもりで』

言葉、テキストを主体とする情報発信で届いている気がしない……。
どれだけ準備してもそもそも届かない、反応されないこともある情報発信ですが、言葉が持つ特性や受け取る側の性質を知れば、多少は変わるかも知れません。
言葉による情報発信でお悩みの方に向けて、筆者なりの偏見、見解も交えて解説します。
BLUE B NOSE 2024.05.17
誰でも

ブログやSNSでの発信など、テキスト、言葉を用いた情報発信がイマイチ響かない。

それは、言葉の特性をご存じないからかもしれません。

言葉が持つ長所や短所、それを受け取る側の性質について、筆者なりの偏見、見解も交えて語ってみましょう。何かのヒントとなれば幸いです。

伝えてたとしても、伝わるとも受け取るとも限らない

小難しい話を始める前に大前提をお伝えすると、書き手が情報を発信しても、伝える、あるいは伝えたが伝わる、もしくは伝わったになるとは限らない、伝わったとしても送り手の意図通りに受け取ってくれるか、納得してくれるかどうかも制御できない、というお話。

デジタルもアナログもDMの開封率がそこまで高くないとか、メルマガの開封率も低いとか、そういうお話ではなく、またテキストや画像、映像や音という媒体に限らないお話。伝える相手が中高生以上、ティーンエイジャーより上の世代になると、この壁は必ず立ち塞がります。

相手は自由意志を持った人間であり、尚且つ疑うことも反発することも駆け引きも覚えた、天邪鬼なところもある大人の人格である以上、よほどの関係性がない限り、受け取り方を強制することはできません。表面的に従ったように見えても面従腹背、本音の部分ではまともに取り合わず掃き捨てている可能性も十分あり得ます。

自分が受け取りたいと思うものしか受け取らない。

その上で、音を伴わない視覚的な言葉、テキストという媒体は、注意の外、意識の外へ比較的追い出しやすい媒体となっています。視覚的に負荷をかけやすい画像や、動きで気を引きやすい動画、音波として回り込んで伝わってくる音、あるいは隙間を縫って漂ってくる匂いに比べ、読む、読み取るという積極的な行為をしなければ完全かつ簡単に無視が可能なのがテキストです。注意を引く力、情報を無理やり受け取らせる力という観点から見ると、言葉は最弱の媒体かもしれません。

まずはこれを踏まえた上で、具体的なお話に移りましょう。

ターゲティングして良質なコピーを発信すれば届くはず?

デモグラフィック、サイコグラフィックの両面からターゲットを明確にして、腕のいいコピーライターに発注して、最高のコピー、最高の文章も用意できたのだから、あとは発信すれば伝わるはず。十分な反応、反響が得られると期待して送り出したのに、その結果は散々だったということも珍しい話ではないでしょう。

かくいう筆者も、思った通りに伝わることなんてほとんどなく、無視されること、全く反響を得られないことも日常茶飯事ですが、きちんと戦略を練り、狙いを定めて発信したはずなのに届かない、伝わらないのは何故か、言葉の性質へ移る前に検討したいことをお伝えしておくと、そのターゲティングでは狙いが不十分かもしれない、ということ。

あくまでも筆者の体感、感覚的なお話にもなるのですが、いわゆるターゲットやターゲティングというのは、野球で言うところの「枠の中で勝負する」レベルのお話で、ストライクゾーンとそれ以外ぐらいの大味な線引きしかできていない、と言う印象があります。

ストライクゾーンに対して中で勝負するか、外も使って勝負するかとか、ギリギリの出し入れで駆け引きするといった要素もあると思いますが、そもそもストライクに入れる、あるいは入れる素振りぐらいは見せないと、勝負が始まりません。

言葉という小さなボールを、相手が反応しそうなコースに投げ込まないと見逃されます。どこまで高い精度で投げられるかという問題はありますが、そもそもの目付け、狙いとしてはせめて内外か高低の二分割、可能なら高低内外の四分割、縦横それぞれ三つに分けた九分割や奥行きも使った目付けができれば、相手とより高度な勝負ができるようになります。

これを可能にするためには、ターゲティングのレベルではなく、一人一人に対して最適な配球、コースを見極めるために、より緻密なモデルであるペルソナを用意する必要があります。

前の試合や前の打席でどうだったかも踏まえて、勝負を組み立てる。これを再現性高く実現するには、ターゲティングの精度では無理でしょう。

もっとも、それ以前にそのターゲティングが正しいのか、本当にいる相手に向けたターゲティング、施策の組み立てになっているかという問題も存在し得ます。

事業提供者、あるいは情報発信者にとって都合の良いターゲティングだったり、思い込みが効いた戦略、マーケティングになっていませんか、と。

客観的に市場の反応、アクセス解析やSNSでの反響といった計測しやすいものを使って、自ら厳しいツッコミ、思い込みをとっぱらった発想で向き合わないと、上手く行きません。人間の性質はそうそう変わりませんが、時代や世代は思ったより早く変化します。虚心坦懐にリサーチしないと、とんでもない間違いを引き起こしかねません。思い込み、先入観には要注意です。

また、ターゲティングに関する余談として、ロックオンしても外れることもある、ということ。攻撃をするためにレーダー照射でロックオンをかけたとしても、その後の機動や妨害によって攻撃を回避されることもありますし、レーダー照射中に逃げられる可能性も十分あります。

ターゲティングで狙いを定めたからといって、一発必中、百発百中とは限りません。ターゲティングを盲信すると足元を掬われるかもしれない、というのがよく分かりますね。

そもそも、言葉の受領は面倒くさい

視覚的にパッと見れば良い画像や動画、勝手に耳に入ってくる音楽とは異なり、言葉、テキストを受け取るためには能動的な関与が必要になります。読解等の作業が必要になったり、頭の中でそれらを元に想像したり、中には直接は言及されていないこと、行間に込められていることまで読み取らなければならない場合もあります。

言葉は無視されやすい上に、受け取るのが面倒くさい、邪魔くさいのです。受け取る側が頑張らなければいけないし、受け取る側の読解力や知識といった背景にも依存、影響されやすい媒体でもあり、書いてあることをそのまま受け取る、読み解くことも容易ではない、ディスクレシアのような障害や国語力等の問題も横たわっています。

言葉による情報伝達、それも送り手の意図通りに受け取ってもらうというのは発信する側が思っているよりハードルが高く、非常に難しいことだと理解しておきましょう。

つまり、よほどの活字中毒でもなければ、「書いてあること」は読まないし、注意を向けることもありません。読解も理解も面倒くさいから、よほどでない限りは受け取らない、無視を決め込む。それが「言葉」に対する基本的なスタンスでしょう。

自分事か、興味のある話、気になる話題でないと受け取らない

積極的に受け取りたい話題であれば、受け取ることが面倒くさい言葉であっても比較的届きやすいです。相手にとって「自分事だ」と思う話題、あるいは興味関心がある話題であったり、自ら積極的に知りたいという話題であれば、受け取り窓口を開いてくれる可能性が高くなります。

ただし、本当に「その話題」でなければ、やはり無視されます。興味を示すところまで行けたとしても、受け取られずに破棄される可能性は十分あります。

ピンポイントでダイレクトに訴求するか、想像力を掻き立てて「私のことだ」と思わせるぐらいのギリギリの共感、トリガーとなる部分を狙うといった工夫が必要です。いずれにせよ、大味な狙いでは困難でしょう。相手をよく見極めて、高い精度、ミリ単位やミクロン単位で言葉を深く突き刺すつもりでないと、そこから先の反応へ繋げることは困難です。

つまり、ターゲティングレベルの狙いでは不十分、ペルソナもどんな生活動態のどんな状態、どんな趣味嗜好で、どんな優先順位で何に悩んでいるのかを掴めるレベルまで作れていなければ、上手く機能しません。どこが興味を持つ分野なのか、どんな切り口で提示すれば受け取ってくれるのか、相手を鮮明かつ精彩に把握しておかないと、言葉を上手に届けることも、伝えることもできません。

自分自身に置き換えればよく分かると思いますが、よほど知識欲が旺盛なタイプでもない限り、興味関心の範囲というのはそこまで広くありません。想像力を働かせて、「自分のことかも」と思う範囲も意外と狭く、相手の日常にある言葉で具体的な話を提示しなければ、そこから先に想像を膨らませてくれることもありません。

受領が面倒くさくないレベルまで受け取りやすくする、内容も表記も気を配るには、書き手にとって都合の良い人物を相手に発信するだけではダメだ、というのもよく分かりますよね。

ここまでの話をまとめると、言葉は注意を引く力、受け取らせる力も弱ければ、訴求としての有効範囲も非常に狭い、射程の短い得物と言って良いでしょう。

言葉なら、際限のない接写も、無限の望遠も可能

映像や写真の場合、カメラや被写体という存在があるため、専用の機材やレンズを使わない限り、接写可能な範囲や距離というのは、思ったより「そんなもん?」なレベルです。

漫画やイラスト、その他画像に関しても、画角やフレーム、受け取る側の視覚という問題は避けられないため、物理的に描写可能な範囲、接写可能な距離は限定的です。

しかし、言葉の場合、機材の問題や被写体、受け取る時の視覚的な問題というのは極めて限定的に止めることが可能なため、とんでもない望遠から息遣いを感じそうなレベルの接写、肌をなぞる様な触感まで言語化して伝えることが可能です。

写真や動画とは異なり、機材による制約もないため、カメラワークにも、速さも画角も制限はないし、ライティングも一々設定する必要はありません。文字を視認したり、声を受け取ることさえできれば、そこから先は網膜や鼓膜といった、五感がなくても相手の頭の中へ入り込んで情報を展開することも可能です。

こういった場面で持ち出すには不適切かもしれませんが、官能小説という文芸は、こういう特性があるからこそ、写真や映像作品にはない持ち味、メリットがあるのでしょう。寒さや緊張で粟立った肌も描写するには、無限に接写可能な言葉が向いている。それ故の独特な世界が確立され、また支持を受けているのでしょう。

相手の頭の中で想像してもらえる、映像を思い描いてもらえるというのも、言葉の特性です。

網膜や鼓膜よりも頭の内側で影響力を行使できる。それも、言葉の持つ強みでしょう。

超至近距離がベストかも。密着を目指せ

相手の興味関心の近くであれば、比較的受け取ってもらいやすく、無限の接写や触り心地ですら描写、伝達可能な言葉の有効範囲は、非常に短い超至近距離、異常なまでの接近戦が最適な間合いじゃないでしょうか。可能ならゼロ距離、密着するレベルで効かせる、訴求するのがベストなのかもしれません。

言葉は切れ味に際限のない鋭い刃物、どこにでも突き刺せる特殊な得物でもあると思いますが、その刃渡はほとんどゼロ、ちょっと離れたところへ振り回しても、何の効力も果たせない代物だと思っておいた方が良さそうです。

とどのつまり、何を発信するかも大事ですが、それ以上に誰のどこに届けるか、どの状態に対して訴求するかといった目付、狙いの方が影響が大きいかもしれない、しっかり狙いを定めた上でより具体的に想像力を掻き立てる訴求、文章とした方が良いかもしれませんよ、というお話です。

発信する側にとって都合が良いターゲティングとか、存在するかどうかも分からないお悩みごとに向けて発信したって、どこにも刺さらない、誰にも受け取られない可能性が非常に高いですよ、というのをお忘れなく。

相手の脳内で効かせる毒牙のつもりで

画像や映像、音と比較すると、文字や言葉というのは注意を引く力や訴求力、機能する部位という観点から、非常に近い距離、短い有効範囲を想定して活用した方が良いのでは、というのが筆者の経験からくる結論です。

効かせたい相手をよく見極め、いつ効かせるか、いつ受け取ってもらうかも加味した上で発信すること。相手が積極的に受け取りたくなる装いを纏わせ、身体の中、頭の中に入ってから効力を発揮するように工夫すること。

相手が受け取る前に不審がられる、それ以前に無視されてしまえば、その発信は「伝えたけど、伝わらない」で終わるか、受け取られたように見えても、口や身体に入ることなく捨てられるかもしれません。

伝えた相手の中まで届けるには、言葉の特性をよく理解した上で、その能力をフルに発揮させることを考えたいものです。特殊な神経毒を効かせるような創意工夫が発信者には必要じゃないでしょうか。

おしまいに

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