月刊BLUEBNOSE 2026年02月号(#26)『魅力的な物語は、簡単じゃない』

AI生成による漫画投稿も増えてきましたが、その手の創作に対して思っていることを、思う限りぶつけてみました。
魅力的な物語やストーリー、世界観、漫画をパパッと作れるのは、まだしばらく先ですよというお話です。詳しくは、本文まで。
BLUE B NOSE 2026.02.20
誰でも

「コレからは物語の時代だ」と言われ続けて、早十数年。ストーリーや世界観の重要性が声高に叫ばれてきたものの、それが広く普及しているようには思えません。

「漫画広告の時代が来る」と語られるようになってからも、15年弱が過ぎました。マーケティングやブランディング、広告の世界に、それに見合うだけの具体的な変化は、本当に起きているでしょうか。

残念なことに、物語も漫画も、工業製品的な生産計画や即時性を前提とした体系とは相性が悪く、時間をかけて育てたり、醸したり、寝かせるといった工程が不可欠です。また非常に残酷なことに、物語や漫画を成立させるためには、長年の修練や先行作品のインプットといった積み重ね、属人性の極みとも言えるセンスやリテラシーも欠かせません。

左脳的な理屈や、机の上でそろばんを弾いた結果、「今すぐ欲しい」と思ったところで、時間もスキルも不十分なら、どうにもならない世界です。即応性や臨機応変、気まぐれな朝令暮改に付き合うような、短期成果を重視するビジネスモデルとは、どうしても噛み合わない分野だと言えるでしょう。

それにも関わらず、「生成AIがあるなら、今後こそ何とか出来るはずだ」と、相変わらず時間がかかる分野への理解や感度を欠いたまま、新たなモデルやサービスが話題になる度に、飛びつき続けているように見えてなりません。

「今回のモデルがあれば、こんなことも出来る」という発信がバズったり、社交辞令的に「凄いですね」と多数のリアクション、コメントがつくこともあるでしょう。

しかし、それによって売上が伸びたとか、新しいファンが増えたという話は、あまり聞いたことがありません。

前々回、『AIが苦手なN個の理由』でも触れましたが、AIを使って何でも作れるようになったからといって、それがコンテンツとして認められたり、広告として「使える」かどうかは別問題だというのが、2026年2月現在の正直なところでしょう。

AIを使ったのであれば「AIを使った」と明記しなければネガティブに受け取られます。AI生成のショート動画ばかりを投稿するYoutubeアカウントが、良い印象を持たれない、あるいはBANされるケースも珍しくない昨今です。

そんな状況で「AIは何でも出来る」と、これまで手を出すことは困難だった「物語」や「ストーリー」、あるいは「漫画広告」に安易に踏み込んでしまって、本当に良いのでしょうか。

今回は、その辺りについて率直に語ってみたいと思います。

AIはサブカルを知らない

筆者も一人の「大きなお友達」として、毎週日曜日の朝から特撮番組についてSNSに投稿したり、話題作に対して「ああでもない、こうでもない」と先の展開に関する考察や、個人的な解釈を書き連ねたりしています。

Grokにそれらを分析させてみると、投稿があまりにも断片的すぎるからか、とんでもない解釈をされることがあります。仄めかしすぎ、背景情報を与えなさすぎることが原因であることは承知の上ですが、それでも著名なシリーズや、個々の作品に対して「本当に理解している?」と感じる場面は少なくありません。

本当に「知らない」と断言して良いかは微妙なところですが、日本のサブカルチャー、特に漫画やアニメ、ゲーム、特撮といった領域に関しては、Wikipedia的な情報以上に踏み込んでいる印象は薄く、細部まで「見た」とか「触れた」とは思えないのが正直なところです。

作品名や概要といった「外側」、平均的な「それっぽい表現」について人より詳しかったとしても、具体的なシーンや「中身」、当時の時代背景や作者の事情といった背景など、語られていないメタ的な部分に対する、包括的な理解については不十分な印象です。

倍速再生や斜め読みを大量にこなしていたとしても、個別具体的な細部や個人的な思い入れ、味わい深さを感じていなければ、「分かっていない」とか「知らない」と言われても文句は言えないでしょう。

オタク文化の聖地であり、成熟した二次創作市場まで存在するサブカルチャーの魔境とも言える日本において、その程度の「理解」では「通用するレベル」の物語も漫画もAI任せで生み出すことは困難です。

「面白い」の要求水準が世界一高く、また複雑の極みである「こだわり」や「性癖」といった要素まで、細分化も成熟も両立させている環境において、現段階でのAIでは「物足りない」と言えるでしょう。

ストーリーと物語はどう違う?

現時点では、AI任せで誰かに刺さるような「物語」を生み出すのは難しそう、というのが現状認識です。その上で、アナタに質問です。「ストーリー」と「物語(ナラティブ)」の違いは何でしょう?

「同じものじゃないの?」と思ったアナタに、誰かを惹きつけるような「物語」を生み出すことは難しいでしょう。両者は似て非なるどころか、全くの別物と言って差し支えないでしょう。

例えば、「ストーリー」を象徴する表現として「起承転結」、「物語(ナラティブ)」としては「神話の法則」、「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」が挙げられるとすると、両者の違いがなんとなく見えてくるかもしれません。

ストーリーの場合は起承転結、すなわち一方通行です。「転」というクライマックスに向け、スタート地点から山を登って降りてくれば成立します。その一方、「物語」は「物が語る」状態を作らなければなりません。つまり、「ヒーローズ・ジャーニー」として「行きて帰りし物語」、行って戻ってくるという円環構造にしなければ、主人公の成長ぶりや、その作品を象徴する「物」の変化、背景を感じ取ってもらうことができません。

少々乱暴ですが、ストーリーの場合は、シナリオや脚本と同質の構造や設計に相当します。そのため、何度同じコンテンツに触れても、筋書きが変化することは少ないでしょう。作り手や表現する人によって、アプローチや演出の違いといった「料理の仕方」は異なったとしても、「バリエーション」として括られてしまいます。

その一方、「物語」はその都度の体験であり、ライブ感の塊です。ストーリー、展開を知っていても何度も触れたくなるコンテンツには、触れるタイミングや背景によって、受け止め方も千変万化します。

落語や吟遊詩人が顕著ですが、「語り」の技術や語り手、演者によっても、味わいは変わってくるでしょう。同じ舞台作品でも、マチネとソワレ、あるいは柿落としと千秋楽とで変化しうる、一期一会の体験が「物語」です。

一つのパッケージとしてリリースされた音源や商品のような固定化された物が「ストーリー」であり、その都度変わる生もの、受け手の解釈を必要とする物が「物語」です。この違いを認識せずに、「これからは物語だ」と語っていないか、要チェックです。

知識だけでは、何ともならない世界

ストーリーと物語の違いを理解しただけで、物語が作れるようになるとは限りません。「ヒーローズ・ジャーニー」を知り、色んな作品をインプットし、「こんな物語を作りたい」と熱い志があったところで、いざ筆を執ってみるとどこかで行き詰まってしまうのが、創作の世界です。

起承転結の使い方を理解したり、神話の法則を抑えた上でキャラクターを用意したところで、圧倒的な知識不足や準備不足、自分の小ささを思い知るまでがワンセットでしょう。

ゲームを作ってみたいと「RPGツクール」を手に入れたところで、そこから先に進まないのも珍しいことではありませんし、iPhoneのハイエンド機で映画が撮れそうと思ったところで、自主制作映画を最後まで撮り切るには、足りない物があまりにも多いと気付くはず。

ソフトやハードといった「きっかけ」は入手しやすく、誰にでも始められそうに思えます。しかし、始めるだけで終わってしまう人がほとんどです。

自己完結できそうな小説や漫画であっても、同様でしょう。受け手としての知識が豊富だったとしても、それだけでやり遂げられるほど甘くはない世界。「語り」にも技術や専門職が存在するように、一つ一つの要素に膨大な専門家が存在するのも、創作の世界と言えるでしょう。

編集や校正といった分野だけでなく、ビジュアル面だけではないキャラクター造形や世界観構築、時代考証、音楽や音響、照明やVFX、さらには演技指導や演出といった分野に、配給や配信、権利関係といったビジネス色の強い部分まで。

知識やベースとなる基礎技術があれば、それだけで何とかなるということは稀でしょう。

そして、細分化された専門職や、創作ジャンルごとにプロになれなかったセミプロや、プロクラスのアマチュア、壁サークルとして人気を確立している同人作家も多数存在する世界です。

プロ未満であっても、センスやリテラシーが異常に高水準な人が無数に存在し、才能の層が分厚いこの国において、付け焼き刃に近い知識だけで「刺さる」物語や、実用に足る物語が生み出せるとはとても思えません。

上手いと面白い、売れるは別物

原作者と作画に分かれた漫画があるように、「面白さ」と「作る」能力は別物です。原作や脚本、監督を兼任するタイプの映画もありますが、映画公開後にリリースされるノベライズや、原作相当の小説が映画と同様に高評価を得られないことも、珍しくはないでしょう。

また、そのジャンルとして「上手い」からといって、「面白い」とも限らないし、「売れる」とも限りません。持てる知識や技術、市場調査を総動員したからと言って、事前の期待通りにハネるかどうかは完全な「時の運」であり、「水物」です。

『進撃の巨人』のように、癖がある作画だったとしても、中身がハマれば大ヒット作に化けますし、人を選びそうな『ジョジョの奇妙な冒険』も、特定の人には深く支持されているため、2026年現在でも第9部の連載が続いています。逆に、美麗な作画であっても「よく分からない」と、思ったより売れなかった作品も珍しくありません。

ネームバリューのあるシリーズ作品に、知名度のあるクリエイターを集結させ、「絶対に外れない」と思った作品が、目も当てられないほど大コケすることも良くあります。また、SNS上で閲覧できる無料の作品だから伸びていただけで、お金を出すほどではないと、肩透かしを食らうこともあるでしょう。

物語として誰かに刺さり、支持され続けるのは簡単じゃない。それも、よくお分かりいただけるかと思います。

過不足なくこだわらないと、刺さらない

映画が最も顕著ですが、音楽も小説も漫画も、時間芸術です。映画や音楽は作り手によってペースが決められていますが、小説も漫画も文字や絵という情報に対して「読む」という行為が介入する以上、そこには時間が発生します。

この時、本筋に対して余計な時間、余計な情報を盛り込んでしまうと、ボヤけた物語になってしまいます。ストーリーラインが過度に複雑で、味付けがやや濃いめの物語も、やはり「無駄が多い」と判断され、好まれないでしょう。

全ての情報を、本筋、本当に届けたいシーンのために活かすように絞り込んだ、過不足のない構成でなければ「良い物語」とは見なされません。キャラクターや俳優の演技は良かったのに、プロデュースや脚本、演出に対して今ひとつな印象を抱いた場合、恐らく「余計な情報」や「無駄な時間」が原因でしょう。

オタク的な知識を沢山有しているからといって、あまりにも細かいネタやこだわりを盛り込みすぎてしまうと、「スノッブさが鼻につく」とネガティブに作用してしまうこともあるので、作り手の「良かれと思って」というサービス精神ですら、的確に見極めて削らなければならないのが物語です。

ビジネス書に挟まれるフィクションや、ビジネス関連のストーリーとしては、そこが非常に甘い印象です。「面白いとは何か」を追求していないと、「盛ればいい」や「作画が良ければいい」といった罠から抜け出せないでしょう。

それと同時に、「作り手」の息遣いや勢い、こだわりを感じられないものも、「物語」としては今ひとつです。

作品を創る必要はなく、商品や消耗品の広告として、パパッと「作ってくれればいい」と思われるかもしれませんが、その温度感で依頼された「クリエイター」は何かを作ってくれたとしても、その「何か」が受け手に刺さるものになるかどうかは微妙でしょう。

作る側が、「私が作りました」と言いたくなるような熱意や想い、こだわりがこもっていない物を世に出したところで、そこには何の魅力もありません。

ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』では「凝り性」に対して「アーティスト」とルビを振りましたが、個人的には「作れる人」であるクリエイターになるよりは、いつまで経っても「凝り性」なアーティストで在りたいと思うのも、そういったところからでしょうか。

作り手として譲れない部分、ファンが支持したくなる作家性を纏わせてこその物語。そう考えるのは、私だけでしょうか。

リテラシーとバランス感覚も欠かせない

良い漫画とは何か、面白さとは何か。そこに明確な答えや模範回答はありません。アナタならではの確かな物差しさえあれば、それで十分です。

その物差し、リテラシーを持って、AIが作り出した漫画や物語に対し、適切な判断ができなければ、他の誰かを揺り動かすだけの訴求力は生まれません。

また、過去を踏襲した縮小再生産の罠に陥りたくなければ、どこかでオリジナリティを足さなければならないでしょう。時と場合によっては、アンモラルなアイディアや、程よいサイコパス感、痛い部分を思い切って踏み抜いていくような、性格の悪さも必要になってきます。

一般的な倫理観も踏まえた上で、フィクションとして許容範囲のアンフェアやアンモラル、あるいはホラーやサスペンスとして問題ないレベルの表現に落とし込めるバランス感覚があるのは、今のところは人間だけです。

エロ・グロほどではない軽度の描写や恋愛、キャラクターの外見や言動に関しても、AIに丸投げはまだ難しい時代。使う側のリテラシーや、アンモラルな領域における適切なバランス感覚がなければ、良い物語、良い漫画は、まだまだ成立しにくいでしょう。

安易に手を出して欲しくないと思っている人を敵に回さないためにも、自ら筆やカメラを手にしなくとも、作り手としての修練や責任からは逃げないこと。それが「魅力的な物語」を作るにあたっての、最低限の礼儀であり、無視してはならない鉄則でしょう。

時間を費やして、自分を磨け

「物語」がマーケティングやブランディングにとって、強力な武器になることは確かです。漫画広告が強い関心を引くことも、間違い無いでしょう。

しかし、ただ取り組んだからといって、効果的な取り組みになるかどうかや、魅力的な物語、漫画になるかどうかは別問題です。

表現が魅力的かどうか、確かな訴求力を持てるかどうかは、それを生み出す人にかかっています。AIの力を借りて生成したとしても、生成するためのプロンプトを考えたり、出力された物を見て良し悪しを判断するのも、使い手のリテラシー、センスに左右されるでしょう。

結局は使う側の中身次第。使う人が面白くなければ、魅力的な物語、表現になることはありません。

ビジネス畑の人が即効性を優先するあまり、一朝一夕に手を出したところで良い結果に繋がることはありません。時間やコストを嫌って目先の利益を追いかけた結果、中長期的な損を掴んでしまうことも珍しくはありません。

軽やかに飛び回り、目ざとく利益を追い続けるやり方を見直し、覚悟を決め、腹を括ってどっしり腰を据える方法に切り替えなければ、魅力的な物語も、訴求力のある中身も手に入れられないでしょう。

AIと上手く付き合っていくためにも、自分を磨け。

物語も、ご相談ください

売れる物語、ハネるほどの魅力的な物語が作れるプロフェッショナルとは言えませんが、プロ未満の専門家だとは思っています。全くの門外漢よりは頼りになるかと思うので、「物語」の力を取り入れたいという方は、ぜひ私たちにもお声掛けください。

本格的なプロよりはお手頃かつお気軽に、ご相談いただけます。一緒に新たな物語、アナタに合う物語を創造しましょう。

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さて、月刊BLUEBNOSEは、毎月1回、第三週の週末に配信予定です。当配信の感想やご質問などございましたら、#BLUEBNOSEか@bluebnoseをつけて、SNSにご投稿いただけますと幸いです。

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それでは、次回の配信をお楽しみに。

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