月刊BLUEBNOSE 2024年02月号(#2)『境目が溶けゆく世界で』

情報収集として定期的に書店やSNSを覗き、新しいマーケティングと称した文言に触れるようにしていますが、筆者が想定しているよりも考え方の土台がズレているなと思うことが多々あります。
今回は、BLUE B NOSEが取り入れているマーケティングの根本、2020年代後半へ向かう今意識しておきたい「ボーダーレス」や「ノーボーダー」について、独自の発想と見解を多分に交えて解説します。
BLUE B NOSE 2024.02.16
誰でも

2020年代も半ばに差し掛かる今でも、マーケティングの書籍や、マーケターとされる人たちの発信や発言には「買わせる」だの、「こうすれば売れる」など、消費者やユーザーを軽んじる表現が散見されます。

ペルソナが大事だとか、ターゲットや消費者ではなく生活者と言い換えましょうと口にしながら、「買う」や「売る」といった表現が飛び交ってしまうのは、矛盾するのでは?

2020年代の後半へ向かっていく現在、あるべき姿、マーケティングを仕掛ける側としての心構えについて、BLUE B NOSE(以下:BBN)なりの意見をお伝えします。

どれだけ綺麗に取り繕っても、結局は「売る」と「買う」でしょ?

広告やマーケティングの世界、ビジネスにおいて表面的な「売る」や「買う」を取り下げたところで、根本のところでは避けようがない。それをオブラートに包んで言い換える方が遥かに不誠実ではないか。その意見も、ごもっともです。

最終的にはお財布を開いて買ってもらわなければ、商売が続けられない、事業として成立しないので、そこを過度に取り繕い、見た目だけ綺麗にしたところでウソにしかなりません。

同時に、どこまで行っても「売る」と「買う」を前面に押し出した姿勢というのも、良い気分になれないでしょう。自分のことを財布のおまけでしかないと捉えるような見方、財布からお金を出させればそれで良い、売り上げた後のことは気にしなくて良い、というのも、受け取る側、消費者側からすればネガティブな印象しか抱きません。しかし、仕掛ける側に回ればそれらをすっかり忘れてしまう。自分たちは売り手側という立場にいるのだから、特別だと。相手も買い手側にいるのだから、同じ立場ではない、特別枠だと。

マーケティングは「こうすれば売れる」や「買わせるための方法、事例」を学んで実践する場である。これからも、資本主義経済、市場経済が続く以上は揺るがない。本当に、それで良いのでしょうか?

情報の民主化が加速しつつある、パノプティコン時代

社会や文化が発展するにつれ、かつては特別で希少だったものが徐々に普及し、一般大衆のものと化す現象、民主化が起こってきました。衣食住から上下水道やエネルギー、紙や鉛筆、学問といったものも近代から現代へ移るにつれ、誰でも入手可能なもの、ありふれたものへと変化してきましたが、古から支配階級の特権であった情報、特に広く発信する技術についても、民主化して久しい時代となりました。

ビジネスの世界においても長らく有効だった「情報の非対称性」という概念が、インターネットやスマートフォンの普及、情報の民主化、広報技術の普及により、その効力を失いつつあります。マスメディアや事業母体など情報を提供する側が、「この情報を受け取って欲しい」と一方の断面だけを切り取ってみせても、受け取る側は見る角度をズラして隠されている部分、画面の外にある情報を取得しにいくことも可能な上に、その情報が正しいのかを検証することも比較的容易な時代になっています。

見る角度、受け取る方向を限定できる劇場型の魅せ方から、発信する側は360度全ての方向から見られてしまう、隠れる場所のないパノプティコンの時代において、「発信する側」と「受け取る側」の線引き、見て良い角度を制限する線引きは有効だと言えるでしょうか。

情報を発信する側も受け取る側も、あなたも私も同じ立場、そこに何の違い、差異もないと捉えた方が良いのではないでしょうか。

「特別」も「聖域」も徐々に薄れつつある

日本では現在、新聞やテレビといったマスメディアの影響力が衰退しつつあり、それに呼応するように、彼らの発信力やブランディングにより権威を保っていた文化人、あるいは文系著名人や論人も、徐々にメッキが剥がれつつあります。欧米に目を向けてみても、メディアの発信力や資本力によって立場を形成していた偽りの権威は、その信用や価値を低下させつつあるように思います。

また、恣意的な思惑も感じますが、それまでは不問に近かった芸能界隈の不祥事や新興宗教の問題、小中学校内のいじめ等のみならず、大学内部の問題等も、白日の元に晒される時代となってきました。その上で、それらを一方的に報じる報道機関、マスメディアや雑誌等に対して「本当にそうなのか」と一定の距離を保つ人たち、自らの頭で考え、それを発信する一般の方々も散見されます。

かつては「ここからは聖域」と境界線を引き、その内側は外側の世界とは違うからと、独自のルール運用や、ダブルスタンダードの適用も有効だったかもしれませんが、それも段々通用しなくなるでしょう。

記録も発信も手軽にできる今、聖域を作ることも、特別扱いを強いることも、そう簡単ではありません。隠すことが難しくなりつつある今、境界線そのものが機能を失いつつあるのかもしれませんね。

情報発信もビジネスも、需給の境目は消えていく?

2024年2月現在、まだまだ「売り手」と「買い手」の境目は残っていますが、情報発信の世界においては「需要と供給」は渾然一体と化し、双方がほぼ対等な関係による双方向性の生態系を構築しつつある分野もあります。どちらがより詳しいのか、あるいはその瞬間だけどちらが先を行っているのか。経験したこと、学んだこと、あるいは誰かの発信を受けて更なる発信を生み出すといった現象も珍しくありません。(例えば、オープンソースの世界や、ファンアートの世界など)

ビジネスの世界ではまだまだ立場の違いは残っていますが、SNS上での売買やオークションサイトなどを通じた、CtoC(消費者 to 消費者)の経済活動が広がり始めています。流石に、CtoBはまだ早いと思いますが、SNSやオウンドメディアを通じた参加型の取り組みは一般化しつつあるので、消費者と共に新しいものを生み出す、共創するというのも珍しい話ではありません。

また最近では耳にすることも珍しくなくなったマーケティング用語「ペルソナ」や、「消費者」に変わる表現として「生活者」といった用語もあります。

「消費者」は、私たちのある一面を捉えていますが、私たちのすべてではありません。(中略)私たち人間の全体を捉えようという視点から

生活者という表現が一般化してきました。商品やサービスを訴求するに当たって、「消費者」とそうでない人を線引きする、あるいは消費してくれる部分だけを切り取って、それ以外を見ないようにしてしまうと上手くいかない時代となっています。

それに加え、引用元の記事でも「顧客」という表現で触れているように、商品やサービスを購入した後の顧客の影響力、口コミの影響力というのも増大しています。これに関しても、誰がその情報を発信するか、誰が拡散してくれるのかもコントロールなど不可能です。

どこかで線を引きたくても上手く引けない、境界線を踏み越えていくのも止められない。

いつかもっと大きな境界線が溶けてなくなるかもしれない状況下で、今後も「どっちが売り手でどっちが買い手」と役割を定め、自分たちには無関係な線の向こう側に対して「どうやれば売れる」や、「こうすれば買わせやすい」と、違う立場、別の言葉で考えますか?

ペルソナを持ち出して考えるなら、同じ人間として対等な立場で、できるだけ気持ちの良いやり方でマーケティングや営業施策を考えるようにしたいなぁ、というのが筆者の個人的な見解です。

「ノーボーダー」かつ「対等」を想定した佇まいで

色んな分野で境界線が取り払われ、聖域やダブルスタンダードも過去の遺物となる可能性も秘めた昨今、「ノーボーダー」な日が来ることも想定した上で、自分も相手も対等な立場に立っている、分け隔てる理由を作らずに向き合う、がベターな立ち方、構え方ではないでしょうか。

その上で、自分は相手より自社のサービス、自分の事業に通暁している、自分の方が専門家であって、相手はこちらと向き合っているという形式そのものは変わらないでしょうから、その捉え方でどう接するか、どう振る舞うかを考えましょう。

この時、要注意なのはいわゆる「先生」として、「何も知らない生徒へ教える」ようなスタンスは避けること。その手法も一時期流行しましたが、今はその「上から目線」ですら行間から漏れ伝わってしまいます。自分が先生として上に立っている、特別な立場にいるという発想もできるだけ捨てましょう。多様性の時代、生徒役が必ずしも年下や目下であるとも限りませんし......。

飽くまでも良き隣人として、世間や市場、生活者やペルソナと向き合う。その上で、「知っていることをお伝えします」ぐらいの見せ方、振る舞い方からあるべき姿を模索するのがベターじゃないでしょうか。

関係の終わりもボーダーレス? ずっと見られるつもりで振る舞いたい

顧客との関係性、利用者による口コミの影響が強い昨今、一度接点を持った相手との関係はいつ完全に途切れるのかも、分からなくなっています。一回売り買いすれば、一生合わない、触れ合わないという時代は過去の物。一件の悪評やいわゆる「デジタルタトゥー」が延々とネガティブに効力を発揮する可能性だってあり得ます。

パノプティコンの時代だと認識し直した上で、いつどこから見られてもいいように、できる範囲の良き隣人を保つようにしたいですね。ただ、不自然な振る舞いは長続きしませんし、どこかで見破られるものなので、表面的に取り繕うよりは素の表現、受け入れてもらいやすい「在りのまま」を模索するのも同時並行で取り組みたい項目でしょうか。

自分も無理をしない、相手にも無理を強いない。長く付き合って行くつもりで、同じ人間、良き隣人として関わっていく。そこに、「売る側」「買う側」の境界線や「こうすれば売れる」や「買わせる方法」が介入する余地は無用でしょう。立場を分ける運用コスト、維持コストもSDGsに反しますから。

マーケティングのパラダイムシフトにも狼狽えない姿を目指して

売り手と買い手の境目がなくなって両者が一体となる時代、完全に同一の存在となって溶け合う新時代、パラダイムシフトもいつか起こるかもしれません。何か強烈な出来事がきっかけとなって、世界や価値観をガラリと刷新する、マーケティングやビジネスの新たな創世記も訪れるかもしれませんね。(全ての人類が溶け合って一つになるイメージは、エヴァンゲリオンの旧劇場版のシーン、新たな創世記を起こすシーンは、シン・エヴァンゲリオンのアディショナル・インパクトを創造されるとイメージしやすいかも)

もしそうなった場合でも、BBNは狼狽えずにあるべき姿を示せるように、次の時代を見据えた佇まい、構え方を模索しています。ボーダーレスな未来やノーボーダーの世界も見据えているBBNと、一味も二味も違う新たなマーケティングに取り組んでみませんか?

2020年代後半へ向かう新しい月額制Web制作、BBNの詳細については、HPや他媒体のメディア、SNS等をご確認ください。

おしまいに

この記事を気に入っていただけた方、本当にボーダーレスの時代になっていくのか後で揚げ足を取ってやろうという方、理想論ばかりで青臭くて気に入らないという方も、ぜひ当ニュースレターのフォローやメールアドレスのご登録をよろしくお願いします。

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それでは、次回の配信をお楽しみに。

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