月刊BLUEBNOSE 2026年06月号(#30)『AI盲信も程々に』

すっかり一大産業、一大トレンドになった気がするAI。
AIを活用したサービスも活況なご時世ですが、リスクやコストも明確になりつつあります。
過信も盲信も避けた方がいい理由について、解説してみました。
BLUE B NOSE 2026.06.19
誰でも

AIを正しいと思い込んでしまうと、それだけでコストやリスクになり得る時代。

AIを用いたサービスや特定のモデルに依存したXaaS、業務フローも、いつ仕様変更やサービス終了に見舞われるか分かりません。
Sora2のサービス終了や、GPT-4oを返せ運動も、まだまだ鮮明に記憶されているでしょう。

AIの性能を過信し、アウトプットを盲信してしまうと、いつか取り返しがつかなくなるかもしれない。
社会的なリスクやコストが徐々に明らかになってきた今、AIとどう向き合うべきか。
改めて整理しましょう。

AIは高価なオウム

Judea Pearl教授は、「スケールアップでは超えられない数学的限界がある」や人間による世界の記述(テキスト)を学習している「高価なオウム」と表現しました。
「高価なオウム」という表現は「確率的オウム」という表現自体は、ワシントン大学のエミリー・ベンダー氏らの論文を元にした表現だと思いますが、現在のメジャーなLLM AIは基本的に「何が正解か」は重視していません。

大量のデータという結果から、構造や振る舞いを観察し、精度が極めて高い模倣をしている状態です。
類似や相関、それらしいモノマネはできても、因果関係や原理原則は理解できていない。
そのため、どうしてもポチョムキン理解やハレーションを避けられません。

結果や外側を真似してみたところで、理論や哲学、想いといった目に見えない部分、本当に重要な部分は掴めない。まさに、仏作って魂入れず。
同業他社の商品にリバースエンジニアリングをかけ、コピープロダクトを作ったところで、大事なボタンを掛け違えたままなので、伸び悩むでしょう。

AIに関しても、似たようなものです。

LLMのようなAIが登場する前のAIとして代表的なものといえば、エキスパートシステムでしょう。
かつてのエキスパートシステムでは、正解を直接定義して教え込む手法でした。
正解は知っていても、想定外の事象には脆く、実用性に関する壁がありました。

現在のLLMは、その壁を突破するために、正解を直接教えない学習方法を採用しています。
人間のフィードバックから「正解らしさ」を学ぶことで、皆さんもご存知のような高機能・高精度を実現しています。
ただ、「正解らしさ」と「正解そのもの」は別物。根本的な因果関係の理解には至っていません。
だから、データ量を増やして追加学習させたところで、「より高価なオウム」になるだけ。

AIには「ドンピシャの正解」を期待されているでしょう。
それなのに、「正解そのもの」は学んでいない。

Claudeの「誤りを含む可能性があります。回答内容は必ずご確認ください。」やChatGPT「回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。」という注意書きは、学習方法が大幅に変わらない限り、もうしばらくそのままでしょう。

必ずしも期待通りになるとは限らない道具に対して、全幅の信頼は置かない方がいい。
遊びで使う分には問題ないですが、失敗が許されない場面や切羽詰まった状況では、AIに頼りすぎないことをオススメします。

モデルが進化しても、限度あり

もう一度、Judea Pearl教授の主張に立ち戻ると「データ量を増やして規模を拡大しても、相関関係の学習から因果関係の理解へと飛躍することは数学的に不可能である」とのこと。
つまり、新たに立ち塞がる壁を突破するようなブレイクスルーが見つからない限り、AGIや因果推論には至らないのでしょう。

LLMを含めたAI開発がますます加速していますが、今のやり方で突き進んだとしても、「高価なオウム」であることは変わらず、多少のバージョンアップやモデルチェンジが起きたところで「正解そのもの」を学んでいない状況は変わりません。

模倣精度が向上したり、模倣を元に独自の表現、構造的な発見等は可能かも知れませんが、「優秀な集合知」を脱することは困難でしょう。

その優秀さ自体は着々と底上げされ、常に80点を叩き出せる偏差値70ぐらいの水準には到達できるかも知れませんが、偏差値70の壁を超えるレベルには至らない。
つまり、その分野の専門家や超天才と呼ばれる人たちには、もうしばらくは敵いません。

「高価なオウム」より、同程度の人の方が信頼できる。
それが、正直なところです。

プロンプト、使い手に依存する

最近も自己引用したり、振り返ったりしていますが、AIもプログラムであり、何らかの関数的な振る舞いをする以上は、"Garbage in, garbage out"。
ゴミを入力してもゴミしか出て来ません。

AIが「正解らしい振る舞い」をしたところで、使う側のインプット、プロンプトやリテラシーが誤っていれば、正確な出力は得られません。
プロンプトや一連のやり取りから、ユーザーが期待する答えや機微を汲み取りおもねってしまう可能性も。

AIも、一種の道具。
拳銃や原子力のように、それそのものが良いか悪いかではなく、使い手の資質や経験、態度に大きく依存します。

AIが間違えなくても、使う人間が間違える。
そしてAIによっては、その間違いを訂正せずに肯定します。

AIを使う自分は、本当に正しいと言えるのか。
AIが出力した結果に対して、真っ当な判断を下すだけの十分なリテラシー、センスを有しているか否か。
そこも大事なポイントです。

「AIがやった」は免罪符にならない

冒頭で引用した「ChatGPTが非弁行為」の事件だけでなく、生成AIの学習用データに関する著作権侵害や、AI作品に関する創作や著作権の問題、AI生成画の無断複製問題、Sunoの「所有権ルール変更」など。

AIが絡む様々な社会問題、刑事事件や民事裁判が増えています。

AI生成動画を発信し続けて、YoutubeアカウントやチャンネルがBANされたり、AI任せの低品質コンテンツを量産した結果、Googleからペナルティを喰らうWebサイトもチラホラ出て来ています。

「AIがやったことだから」とか、「著作権も問題ない」とサービス提供事業者を盾にしたところで、それで無罪放免とはなりません。
AIエージェントが自動で作ったプログラムであっても製造責任は、指示を出した人間にありますし、それを販売して収益を上げたのであれば、相応の役務を提供しなければなりません。約束した役務を達成できない、あるいは重大なセキュリティ違反を犯せば、債務不履行とトラブルに発展するでしょう。

また、そのAIが、どんなデータで学習しているのか。
本当に権利侵害がないのかについても、無関係ではいられないご時世です。

例え指示役がAIで唆されたとしても実行者は人間であり、その結果に対する責務も実行者に帰します。
AIが主犯かつ教唆犯で、人間が従犯という位置付けにはなりません。

表現も事業活動も、公序良俗に反しなければ何をやってもいい自由な行為ですが、自由には相応の責任が伴います。責任を放り投げて、好き放題することはできませんのでご注意を。

何でも出来るからこそ、慎重に

新しいモデルやサービスが出るたびに「こんなこともできる」と、AIにできることが増えて行きます。
「何でも出来る」といっても良いでしょう。
今までは何時間もかかっていたことも、ほんの数分で解決できてしまう。

対応できる範囲も広がるし、業務効率も上がって、人生も仕事も今まで以上の加速が可能です。
ただ、猛スピードで走れるからこそ、アクセルを強く踏みすぎるととんでもない事故も起こり得ます。

歩いている時に鳥や虫にぶつかられても大した怪我にはなりませんし、回避も簡単です。
しかし、自動車や新幹線、あるいは飛行機なら、状況は異なります。
スピードが出れば出るほど小さな衝撃でも致命傷になりかねないし、操作の余裕もありません。

自分一人で自損事故を起こすだけならまだしも、家族や周りを巻き込んだ上で、経済的な問題や社会的に再起不能なダメージを負うかも知れません。
見知らぬ誰かを、身体的あるいは精神的に傷つけてしまう可能性も。

アナタの能力を増幅させ、力もスピードも増大させられるAIだからこそ、ぶつけてしまった時のことも考えておく。
何でも出来るからこそ、慎重かつ冷静な判断が必要です。

AI盲信ですくわれる?

AIは絶対に正しい、間違わないんだと盲信してしまうと、それだけでコストやリスクになり得る時代。
AIを取り入れたサービスや、AIエージェントを使ったシステム開発、AI任せのコンテンツ制作も盛んな昨今ですが、徐々にAI風のテキストやイラスト、動画に対してヘイトを向ける機運も高まりつつあります。

AIを嫌う層、AIから距離を置く人たちも出て来ている今、それでもAIが絶対的に正しいとか、AIを積極的に導入して効率化を図りましょうと、全力でアクセルを踏むべきでしょうか。

あえて意見は述べません。
AIが良いか悪いかではなく、飽くまでも使う人次第。
誰かに踊らされるのも良いし、自分から積極的に踊ってみるのも良いでしょう。
その上で、あえて流れに乗らない人、同調しない人がいてもいい。

ノリの悪さを貫いて、あえてノらないのも一つの手段。
AIを盲信して救われるのか、それとも足元を掬われるのか、あるいは両方か。

やはり、自分が責任を取れる範囲、両腕を広げた範囲、1ファゾムや1尋(ひろ)=6尺ぐらいまでを基準とすべきじゃないかなと、個人的には思います。

AIとの距離感、活用方法に悩んでいるなら、ご相談ください

AIを程々に業務に取り入れ、飽くまでも人間主体、創作の補助として活用しています。
自分の専門分野に関して手伝ってもらうため、AIが出力したものに対する判断も、全く知識や経験がない人よりは正確だと自負しています。

AIの利便性や恩恵を受け取りつつ、そのリスクやコストも見極めた上で、適切な距離感で付き合えている方だと思います。
盲信も過信もせず、程々の関係を保って業務に取り入れたい方、より良い活用方法を検討したい方は、いつでもご相談ください。

アナタにあった活用方法を、一緒に考えます。

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さて、月刊BLUEBNOSEは、毎月1回、第三週の週末に配信予定です。当配信の感想やご質問などございましたら、#BLUEBNOSEか@bluebnoseをつけて、SNSにご投稿いただけますと幸いです。

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それでは、次回の配信をお楽しみに。

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